人口6,600人の港町から、Jリーグを目指して。
コバルトーレ女川の軌跡と挑戦。

宮城県東部・牡鹿半島基部に位置する女川町(おながわちょう)。世界三大漁場の一つ、三陸・金華山沖にほど近く、入り組んだリアス式海岸は一年を通して豊かな海の恵みをもたらしてくれる。この人口わずか6,600人ほどの港町からJリーグ入りを目指すサッカークラブがある。それが「コバルトーレ女川」だ。選手たちは、町内の企業などで働き、仕事を終えた夜に集まって練習し、試合に備える。東日本大震災が発生した2011年には、活動を1年間休止しながらも、町民の応援を受けて着実に歩みを進め、今年から戦いの場をJ3(Jリーグ3部)へと手が届くJFL(日本フットボールリーグ)へ移した。いよいよ辿り着いた「J」の名がつく舞台。しかし、あくまでクラブの存在意義は「町の活性化」だ。ただのサッカークラブを超えて、地域の希望の星として輝くコバルトーレ女川の軌跡と挑戦について、3月11日のJFL開幕を10日後に控えた3月1日、阿部裕二GMと村田達哉監督に話を伺った。

目標であるJ3へ昇格するためにはJFLで上位に入ること、スタジアムの環境整備や財務状況などのJリーグが定めた基準をクリアし、ライセンスを取得しなければならないなど、いくつものハードルがある。

 

順風満帆ではなかった船出。それでも女川町とともに。

町の人にこのクラブについて話を聞くと、いかに愛され、女川町にとって重要な存在かがわかる。しかし、創設当初から順風満帆というわけではなかったという。コバルトーレ女川の創設は2006年。町の活性化施策の一環である「女川スポーツコミュニティ構想」によるものだった。

クラブの創設時からスタッフを務め、昨季、監督としてJFL昇格へ導いた阿部GM。現在は監督を勇退し、ゼネラルマネージャーとしてクラブ全体の活動を支えている。

「初めは、そんなに歓迎された存在ではなかったです。“この町にJリーグ?何言ってんの?”といった反応もありました。ただ選手たちが、町の行事に参加したり、住民の方と交流することで徐々に応援してくれる人が増えていった感じですね」

そう語るのは、創設当初はユース世代の監督として、昨季まではトップチームの監督として、クラブとともに歩んできた阿部GMだ。

チーム名は女川の青い海(コバルトブルー)と自然豊かな森(フォーレ)をイメージした造語。

トップチームに所属している、ほとんどの選手が町外出身のコバルトーレ。すぐに町とクラブ・選手の間の溝は埋まらなかったという。それでも町の清掃活動に参加したり、さんま祭りでさんまを焼いて振る舞ったり、そうした地道な活動を積み重ねることで、ゆっくりと町の一員として認められていった。また、他の地方自治体と同様、高齢化問題を抱える女川町にあって、バイタリティのある若者が地元企業に入ることで、町に刺激がもたらされている一面もあるようだ。阿部GMは「このクラブは町を元気にすることが何よりも大切。そこは絶対にブレてはいけない」とクラブの存在意義について、女川町への貢献を口にした。

今では、町の中で選手とサポーターが声を掛けあうこともあるというほど、町民との距離は縮まっている。町の人たちにとっては、毎日、自分たちの周りで働いている若者が、一生懸命プレーしているから応援したくなる。そして選手たちも、クラブの存在意義を理解し、いつも支えてくれる女川町、町の人たちを盛り上げるために全力でプレーする。そんなサイクルが少しずつ生まれ始めたチームは、一段一段、戦いのステージを高めていった。

2006年に市民リーグからスタートしたコバルトーレ女川。大きな困難を乗り越えて、JFLの舞台へ辿り着いた。

震災による1年間の活動休止を乗り越えて。

阿部GMがトップチームの監督に就任した2011年。東北社会人リーグ2部に所属していたチームが1部昇格へ向けてリーグ開幕へ準備を進めていた時だった。東日本大震災の発生。震源地に近い女川町は、津波で壊滅的な被害を受けた。港や町のあらゆるものが流され、コバルトーレはクラブハウスや選手寮を失った。選手は全員無事だったものの、とてもサッカーをやれるような状況ではなく、町の支援活動を行うため1年間の活動休止を決定した。

取材が行われた「コバルトーレ サポーターズパーク」。クラブの事務所やサポーターの交流施設として、チケットやグッズなども販売している。

「グラウンドもなくなったし、町の状況を見ても、クラブとして活動できる状況じゃなかった。ただ、子どもたちには一刻も早くサッカーをしてもらい、元気を取り戻してほしかった。だから、あの時は子どもたちへ環境を提供することを優先しました」と阿部GMは振り返る。

 

クラブは震災発生一ヶ月後の4月中旬から、被災の影響が少なかった石巻のサッカー場を借りて、子どもたちがサッカーを楽しめる環境を整えた。これも女川町におけるクラブの役割を第一に考えてのことだ。

選手たちは瓦礫の撤去作業や新聞紙の配達、高齢者世帯への水の配給など、自分たちが町のためにその時やれることに努めた。1年間、チームとしての練習は一切なし。選手たちが町の小さな公園で子どもたちとボールを蹴っていたこともあるという。

1年間の活動休止は、Jリーグ入りを目指すクラブにとって、間違いなく大きな時間のロスだ。しかし、コバルトーレは復帰後のリーグで準優勝を果たし、東北社会人リーグ1部へ昇格。その翌年には同リーグで優勝という結果を残した。阿部GMは次のように話した。

「活動休止中には、選手たちにサッカーをやってほしいという町の方の声もあった。そういった町の期待を受けて、より地域への気持ちが強まった結果かもしれません」

そして昨年11月、各地域リーグの上位チームがJFL昇格をかけてしのぎを削る全国地域サッカーチャンピオンズリーグで、コバルトーレは周囲の下馬評を覆す快進撃を見せ、第1次ラウンド、決勝ラウンドを制し、優勝。今季から「J」の名がつく舞台へ戦いの場を移した。ようやく登り詰めたJFLのピッチ。伝えられた開幕戦の日程は、3月11日だった。

全国地域サッカーチャンピオンズリーグの決勝ラウンドは千葉・市原で開催された。快挙といえるJFL昇格だったが、その翌朝、選手たちはいつもと同じようにそれぞれの職場へ戻り、業務にあたった。

復興のシンボルとしてJFLの舞台へ。

阿部GMの取材終了予定の時間が迫った頃、「もし、もう少し話が聞きたければ」と事務所に居合わせた、村田新監督を紹介してくれた。選手時代にはベガルタ仙台やコンサドーレ札幌で活躍し、引退後はイタリアでのコーチ留学を経て、東京ヴェルディなどで指導を行ってきた村田監督。コバルトーレ女川の監督就任を決めたのは昨年末だという。複数のチームから誘いがあった中で、それでもこの小さな町のクラブを選んだ理由とは。

選手時代には明るい人柄でサポーターたちから愛された村田監督。阿部GMは「熱心で誠実な監督。来てくれたよかった」と期待を寄せる。

「昨年末に阿部さんから、このチームの監督をしないかと連絡があって。話を聞くうちにどうしても現場が見たくなり、翌日には新幹線や電車を乗り継いで女川に来てましたね。そこで町の前向きな姿勢やサッカーの環境をみて、すぐにここでやりたいと思いました」

現地を訪れてすぐに監督就任を決めたという村田監督だが、そこにはサッカーの結果以外に課せられたチームの役割、そして震災以降に背負った使命も感じている。

「キックオフパーティーでも参加された町の方から、“3月11日に開幕戦を戦う意味がわかってますか”と聞かれて。そういった町の思いもチームとして背負って戦わなければいけないというのは理解しているつもりでしたが、より強く実感しましたね」

コーチがいないコバルトーレ。練習や試合はもちろん、対戦相手の分析や試合の振り返り、選手のコンディション調整など、村田監督に求められることは多い。

3月3日には村田監督の提案で、被災地を選手たちと実際に見て回る予定だという※。

「今シーズン、私以外にも新しい選手が多く入りました。このクラブが震災から這い上がって、ここまで辿り着いた背景や歴史を感じてほしかったし、強い覚悟を持って戦うんだという気持ちを共有するために提案しました」

※予定通り、選手・スタッフともに石巻の日和山や南浜町の被災地を訪れた。

村田監督に今シーズンの目標を聞くと、“戦術云々のまえに…”と前置きした上で話してくれた。

「JFLは間違いなく全チーム格上です。きっと、今のままでは通用しない。今シーズンの結果としての目標は、少しでも上の順位でJFL残留ということになるかもしれないけれど、それよりもチーム全体として戦い抜くこと、この町への思いを持って、全力でやり抜くこと。その姿を見せられる選手たちが集まっている。その姿勢を継続することで、町の人たちの生きる希望になりたいと思います」

村田監督は選手たちの印象について「日中の仕事の疲れも見せず、練習に取り組んでくれる。サッカーへの愛やプレーできる喜びが伝わってくる」と話す。

夜の練習では、冷たい風が吹く中、村田監督を中心に活気のある練習が行われていた。

練習の見学に訪れていた女川町在住の女性にお話を聞くことができた。何と2007年の県リーグ所属の頃からクラブを応援しているとのこと。

「コバルトーレは町にとって希望の星です。開幕戦は行くことはできないけど、JFLで活躍して女川の名前を全国に広げてほしいと思っています」

昨季までホームスタジアムだった女川町総合公園は、ピッチが人工芝のためJFLでは使用できず、ホームゲームは県内の複数の施設で行われる。数年後の完成を目指して天然芝のスタジアム計画が進行中だ。

阿部GMが「スケジュールの都合だと思うけど、私たちとしては意識せざるを得ない日」と語っていた3月11日の開幕戦。コバルトーレはリーグ三連覇を目指す強豪Honda FCとアウェイで戦った。村田監督が「チームの力はJ2レベル」と評していた相手に対し、結果は1-2で敗れた。

筆者はインターネット中継で試合を観戦したが、ボールを支配される中でも完全に引いて守ることをせず、試合終了のホイッスルが鳴るまで、体を張ってボールを奪い果敢に前へ運ぶ姿、相手のクリアボールに少しでも触れようと懸命に足を伸ばすプレーは「全力でやり抜く」という村田監督の言葉をまぎれもなく体現しているものだと感じられた。スコアに刻まれた「1」の数字は、チームが確実に一歩前に進んだことの証だ。

そして、一週間後のファーストステージ第2節。アウェイのMIOびわこ滋賀戦でコバルトーレは記念すべきJFL初勝利(1-0)を飾った。得点者は、震災前からチームに在籍する吉田圭選手。ゴール前で何度シュートが跳ね返されても、諦めずにシュートを打ち続けた中から生まれた、このチームらしいゴールだった。

石巻で行われるホーム開幕戦は、4月1日(日)のファーストステージ第4節・ラインメール青森戦。相手は昨季2位の強豪だが、スタジアムに集まる町の人々の声援が、全力でプレーする選手たちの背中を強く押してくれるに違いない。

数年後の完成を目指して計画が進行する、女川町のスタジアム。そこを本拠地とするJリーグのクラブとして、町の人たちの前でプレーする。その大きな目標に向けて、コバルトーレ女川の挑戦は始まったばかりだ。

 

 

ホーム開幕戦

JFL ファーストステージ第4節

コバルトーレ女川 対 ラインメール青森

開催日:4月1日(日)

開始:13:00

場所:石巻市総合運動公園 石巻フットボール場

チケットなどの詳細については、コバルトーレ女川公式サイトをご確認ください。

http://www.cobaltore.com