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「せんだいセントラルパーク構想」を語る第1回
街の真ん中をみんなでピクニック。
楽しむことが街を変えるチカラになる。

「ピクニック」。
この言葉を聞いて目に浮かぶ風景はどんなものだろう。
雲の流れ、風の匂い、草木の色合い、思い思いに持ち寄ったランチ、仲間の笑顔、そして鳥や虫の鳴き声…。
ピクニックを仙台の街中で実施したら、街はどんな風景を見せてくれるのだろう。

「伊達な川床」で出会ったNPO法人都市デザインワークスの豊嶋純一さん達は、地域の歴史や文化を次代に引き継いでいくことを目指し、市民提案型のまちづくりに取り組んでいる。そして今、豊嶋さんが取り組んでいる一つが、『Sendai Central Park ピクニック(以下「SCPピクニック」)』だ。

今回は、ピクニックから「せんだいセントラルパーク構想」を探っていきたい。
豊嶋さんにインタビューをお願いした。

 

 

街中でピクニック
街に身を置きながら、街のことをみんなが考える

—思い起こすと5年前、突然の豊嶋さんからのメッセージで、ピクニックというものにはじめて誘われました。
そうでしたか。私もピクニックの呼びかけをしたことなくて、どんな反応になるかドキドキしてました。あれはSCPピクニックの初回でした。

—「街中でピクニックか〜」と新鮮に感じたのを覚えています。あのときは西公園でしたか。
はい。西公園の原っぱにゾロゾロと、好きな時間に来て、各々食べ物や飲み物などを持参して、読書したりバドミントンしたり好きに過ごし、それぞれ好きな時間に帰っていきました。気になってたけど入る機会のなかったパン屋のこと、サンドウィッチに挟んである海外で買ってきた生ハムの話、公園の前のお店でコーヒー豆を手に入れて初のハンドドリップ体験とか、ピクニックの過ごし方を考えてきた人同士だからこその、何気ない会話が生まれていました。

—「せんだいセントラルパーク構想」はまちづくりの取り組み。通常そういう場合、フィールドワークや調査みたいになりますよね。
まちの主役は傍観者ではなく生活者です。市民の普段の生活の中に「楽しいと感じる瞬間」がどれだけあるのかが重要で、それをまちにつくっていくのが「せんだいセントラルパーク構想」の根底にあると考えています。

じつは私自身、構想の立ち上げには携わっていなくて『都市デザインガイドブック/せんだいセントラルパーク2006』を読んではじめて存在を知りました。ふだん仙台で生活していてもなかなか気付かない、スケールの大きなアプローチに惹かれ、純粋にSCPに行ってみたいと思いました。でも実際に足を運んでみた率直な感想としては「何だ、ここは!?」でした。
ガイドブックには、広瀬川を中心としてその周辺、豊かな自然や美術館などのミュージアムが点在するエリアを、いつでも楽しめる仙台の新たな都市個性にしていこうと、色んな視点から分析した内容が載っています。

公園、街路樹、河原といった緑の多い場所を色塗りした地図。文化・芸術に触れられる施設や歴史スポットを示した地図。それから地形の高低差を分かるよう表現した断面図や昔の写真を載せて時代の流れを整理した年表などなど。これだけ豊富な資料があれば、まるで色眼鏡を掛け変えるかのように、毎回、新たな気持ちでSCPを訪れることができるわけです。

でも、私が期待を膨らませて訪れた西公園・大橋周辺で出迎えてくれたのは、工事中の仮囲いと蜘蛛の巣の張った看板・電灯、そして草ぼうぼうで鬱蒼とした川沿いや公園でした。せっかくの色眼鏡も曇ってしまい、肝心なところに目が行かないし、魅力があるんだろうなぁという考えも及びませんでした。これはもったいない。
SCPの魅力を知る・知らない関係なく、色んな人が一緒に現地を見て、その魅力や可能性、そして課題などを実体感してみたいと思ったわけです。ある研究では腰を下ろすと立っている時の3倍の情報量が得られると言いますから、ただ足を運ぶだけでなく佇んでみる。だからピクニックなのです。それも、楽しそうだなぁという感覚で気軽に参加できる「肩肘張らないピクニックとして始めてみよう」となったんです。

 

 

—ピクニック(picnic)の語源はフランス語のpique-nique、「手でつまんで食べる軽食」と聞いたことがあります。
よく、ご存知ですね。基本は、自分の食事・飲み物やラグなどすべて持参ですが、自然とお裾分けなんかが出てきます。お互いの時間を尊重するので、好きな時に来て、好きに過ごし、好きな時間に帰る、という感じで気楽なピクニックを心がけています。

—どんな方法で参加の呼びかけをしているのですか?
主に知り合いへの声がけと、ホームページやTwitterでの呼びかけです。平日・週末とも関係なく西公園や定禅寺通のグリーンベルト、広瀬川の河川敷、茶室・神社などを会場に、平均すると1回あたり15名くらいでお昼を一緒に過ごします。
はじめから大事にしてるフレーズがあります。「せんだいセントラルパークでピクニックします。郊外へ飛びだして余暇を過ごすレジャーでなく、身近にある場所で日常をもっと楽しむための取り組みです。各人お昼を持ち寄るなり、ティータイムをとるなり、せんだいセントラルパークの季節の彩りを共に感じながら三々五々過ごしましょう。」と案内をしています。

 

—ピクニックの時に、「せんだいセントラルパーク構想」の話もするのですか?
実感というか、心の底から楽しいと感じる瞬間を探っていきたいと思っています。もちろん、ピクニックする場所のことは事前に調べて、何かしら伝えられるようにしますが、すべてに答えがあっても面白くないので、一緒に考えることも大事にしています。理想を言えば私たちが呼びかけなくてもピクニックが盛んになっていって欲しいので、一人一人がSCPを大切な人と過ごすための動機づくりにしたいと思ってます。
ただSCPピクニックでご一緒した方が、その場で肌感覚で魅力や課題を体感したり、自分で気づきを得たりすると、「もっとこうだったらいいなぁ」という気持ちが生まれてくることがあります。そんな想いを私たちが拾い集めていって、市民が過ごしやすい・過ごしたくなるSCPに近づけていきたいって目論見も一方ではあります。というのも、先ほどのピクニックの語源には諸説あって、piqueは「刺す」、niqueは「辛辣な」、の意味があり、私は「身分や階級を問わず市民が集って社会体制について話し合い、考える場」とも捉えています。

—今まで気づかなかった課題に出くわすことはありますか?
こんなこともあります。せんだいセントラルパーク・ユニバーサルツアーと題して西公園でお花見ピクニック+まち歩きを開催した際に、電動の車イスユーザーはバッテリー残量の気にしながら過ごしていました。それから幼児を連れたママさんはお子さんが泣かないように常に気を配っていたり、ミルクやオムツ交換のことも計算しておかないといけなかったり。ハッと、日常と言っても多様で日々変わっていくんだなぁと気づかされました。SCPはみんながもっと安心して楽しむことができるように、みんなの力でつくり上げていきたいと考えるようになりました。

 

イメージ先行から体験する「杜の都」
もっと広瀬川へ足を運べるように!

—さすが「杜の都」仙台ということで、いま街中で公園を中心にいろんな動きが出てきていますね。例えば今年の3月には、勾当台公園に東北観光情報の発信拠点施設「LIVE+RALLY PARK.(ライブラリーパーク)」がオープンしています。
そうですね。公園の数や街路樹などで緑の量を増やしてきた仙台ですが、これからは公園の質を高めていく時代に入っていきます。ライブラリーパークは東北カルチャーを盛り上げるイベントも展開していて、市役所に求める情報発信機能の役割を果たしていると思います。
私が携わったところですと、西公園北側エリアの“自分の庭のようにみんなの公園を楽しむ”実験フェス「西公園4WEEKS」では、パークハウスをオープンさせて、ドリンクやレクリエーションアイテムを提供し、丸一日かけて卓球・バドミントンを楽しむ子どもをはじめ、市外から訪れた方もゆったりと時間を過ごしていきました。さらに70回の参加型プログラムを行い、朝食会、サンセットヨガ、アウトドアシネマなどと、さまざまな時間帯でのパークライフの充実が見られました。

 

—2017年6月に都市公園法が改正し、大規模な公園施設の整備・運営を民間に委ねることができる「パークPFI方式」が新設されました。今後はどんな変化が見られるのでしょうか?
仙台でも榴岡公園のレストハウスを、パークPFI方式で整備運営事業者を公募しました。使われず老朽化したレストハウスを、一部、市の負担はありますが、民間が自己負担して、自由な発想でつくり変えるのです。飲食店や売店などがオープンし、人口が増える周辺エリアの新しいニーズに応えていくことになります。県内初の試みなので民間の創意工夫が試されるところです。
この民間参入を公園よりも先に積極的に取り入れ始めたのが、河川と道路です。法律に則った空間の使い方を、具体的に例示した準則を改正したり、民間が使える期間を延長するなどの規制を緩和したりするうちに、先進地では河川と道路が、賑わいづくりや地域活性化を牽引し始めています。横浜の日本大通りや池袋のグリーン大通り、伊達な川床でも参考にした飛騨高山など、地元企業が参画してとても素敵な空間をつくり出しています。

—なるほど。広瀬川にも民間参入が考えられるのですか。もともと広瀬川に対しては良いイメージがありますね。
ちょっといいですか。平成26年に仙台市が実施した広瀬川市民意識アンケートをよく見てみると、広瀬川に対する考えに対して「広瀬川は仙台市のシンボル」「市民の多くは広瀬川に愛着を持っている」という回答が、8割近い割合です。でも、広瀬川の水辺を訪れる頻度に対しては、6割以上の方が「ほとんどない」「1年に1回程度」と回答しているのです。広瀬川は仙台のシンボルというイメージだけが先行していて、実際に訪れて魅力を体感する場となっていないのです。訪れていても「散歩・散策」や「芋煮会」といった定番のアクティビティのみが行われている実情です。このギャップを埋めるには、市民の自由な発想や民間の創意工夫が欠かせないと思っています。

—そうですか。それは、もったいない。広瀬川は「杜の都」のシンボル的存在ですからね。どうしてこのようなことが起きるのでしょうか?
ハッキリとした要因は分かりませんが、私たちは3つの課題があると考えます。
1.緑陰空間での楽しみ方が知られていない
2.市民ニーズを引き出す施設や体験がない
3.安全性を過剰視した規制や制限等がある
最後の3つ目がとくに根が深いんです。古くは広瀬川によって削られ形成された経ヶ峰といった自然崖が象徴するように、氾濫・水害の歴史が浅くありません。危険性があることは事実ですし、近くのお住いの方の話によると進駐軍が汚水を広瀬川に流し始めたとのことですが、衛生的によろしくない環境の時代があったことも決して間違いではありません。ですので当時から「子どもは広瀬川に近づかないように」と指導があったそうですし、そのイメージがまだ拭えないからなのか、周辺の小学校では今でも「子ども達だけでは広瀬川に行ってはいけない」という指導があるのです。
驚きのエピソードがあって、自分の学区内の広瀬川に行って先生に見つかると大目玉なので、わざわざ隣りの学区の広瀬川まで子ども達だけで行って遊んでいるという話があるのです。これでは余計に危ない状況を生み出してることになります。

 
—どのようなカタチでイメージを払拭していくのか、ですね。
うーん、難しい問題ですが、まずは大人の目がある広瀬川をつくっていくべきだと考えています。まずは大人に安全に対する知識を含めて、川で遊ぶスキルを身に付けてもらいたいところなのですが、子どもの頃にそういった体験をしていないとなかなかハードルが高い。どうにか新しい楽しみとして参加して、プロのインストラクターから学んでもらいたいと思い、市民活動団体・カワラバンさんと連携しています。先ほどのエピソードもカワラバンさんから聞いた話で、まさに河原の番人です。好評だったのが「大人のための川遊び講座」で、参加者のほとんどが初めてのライフジャケットを着て、溺れた人を助けるロープを投げる訓練や、川の中に網をガサガサつっ込む生きもの観察、川にプカプカ浮いて流れる体験などをしてもらいました。ライフジャケットを脱いだ後はピクニックして過ごす、広瀬川満喫の半日コースでした。

 
—参加者の中からどんな意見が出ましたか?
やっぱり良い印象がみんなから挙がりますね。「身近な冒険のできる貴重な場所」「中心市街地から近くてよい」「ゴミは無く魚もいてキレイなのだと思います」などなど。一方で、「川の流れは思った以上にキケンな場所もあり、体験の大切さを改めて感じた」という感想もいただき、体験を通じた学びと楽しみを提供できるようにしていかないといけないと思いました。やはり、川は“見る”ものでなく“遊ぶ”ものです。

—大人たちが河原の番人になったら、広瀬川で遊べる子どもたちも増えますね。
そうです、それが理想的な形として現れたのが「伊達な川床」です。3日間の開催だったので、日を追うごとに子ども達が自然と川に入って遊ぶようになったのです。

 

 

ひとりひとりが、まちを満喫しよう!
「せんだいセントラルパーク構想」の発想の原点に

—SCPピクニックを始めてから5年が経ちますが、どのような感触を持っていますか?
最近、『都市デザインガイドブック/せんだいセントラルパーク2006』を読み直してみて、改めて驚いたことがあるんです。SCPピクニックをはじめ、他の取り組みも含めて数を重ねてきて、先ほどの3つの課題などがようやく見えてきた方向性みたいなものが、既にそこに書かれていたのです。「机上より現場だ」という信念でやってきたので、ちょっとショックでしたが、逆に言うと実感を持ったことに論拠を与えてもらった意味では、価値がある発見だと思っています。

—「せんだいセントラルパーク構想」がしっかりと現場の課題に即して書かれていたわけですね。
「せんだいセントラルパーク構想」の原型は2001年にさかのぼります。当時、東北大学建築学科都市デザイン学講座の大村虔一研究室の大学院生が中心となって、広瀬川の流域一帯を仙台のアイデンティティとして個性を高める都市デザインに取り組んだことが事の発端です。その後、都市デザインワークスが引き継いで2004年から「せんだいセントラルパーク構想」に改めて取り組むことになりました。
まずは現地を歩く調査から、広瀬川周辺のルートについての課題を[①高低差のある地形による不連続][②宅地による不連続][③障害物による不連続]の3つに整理。歴史についても化石時代、藩政時代、明治以降の近代の激変など、歴史の表舞台であったことをまとめました。翌年からは参加者を募ってガイドツアー&マイマップづくりを行い、市民の声を集めて構想に反映していきました。そして、それまでの取り組みをまとめて発行したのが『都市デザインガイドブック/せんだいセントラルパーク2006』です。

—大村先生もまち歩きに参加していたのですね。現場主義だったんですか。
今では全国に400を超える活動団体があるプレーパーク(冒険遊び場)を、日本で初めて取り組んだ一人が大村先生です。1970年代に空き地を子どもの遊び場にするため、親たちが“遊ぼう会”と称する、堅苦しくなくみんなで楽しくやる会を立ち上げて活動し始めました。

大村先生が手がけるまちづくりの根幹には、常に“楽しむ”という発想があったと思います。実際に先生がピクニックをしている写真もあるんですよ。


「自分たちで手を動かし、汗かいて何かやろう」という想い。その市民提案型まちづくりの発想が「せんだいセントラルパーク構想」を通じて私たちにも脈々と受け継がれています。もう一度、原点に帰って大村先生が見つめていた視座を探ってみたいなぁと思っています…

 

SCPピクニックの話の源流が、アーバンデザインの生みの親である大村虔一氏につながっていく。とてもスリリングな展開になってきました。
さぁ次回、大村先生のまちづくりの根幹に迫ってみましょう。