【みちのく 物語のふるさと紀行】
善き人の想いが息づく“桃源郷”を訪ねる。
福島市・花見山公園へ。

花見山公園は、福島市南東部の渡利地区にある花の山だ。春になるとウメ、レンギョウ、トウカイザクラ、ソメイヨシノ、ハナモモ、ボケなどが咲き競い、周辺の花木農家の畑とともに、一帯が花色に染まることで知られている。

 

【みちのく 物語のふるさと紀行】の連載が決まったとき、真っ先に頭に浮かんだのはこの花見山公園だった。

今では海外からも花見客が訪れる観光名所となっているが、この山が個人所有の山であることはあまり知られていない。これほどの人気スポットでありながら、今もってこの山は個人所有のままであり、無料で開放されているのだ。

何年か前にその事実を知ったときは驚いた。そして、興味を抱いた。あれほどの山を所有している方とは、いったいどんな方なのか。どんな思いでこの山をつくり、開放しているのか。

作家はいつも物語の“種”を探してアンテナを高く掲げているものだが、その端くれである私の“種”センサーも、花見山公園には激しく反応した。「物語の匂いがする」などとぼんやり考えていたら、昨年2月、まさにこの花見山公園について書かれた児童書が出版された。 

タイトルは「福島の花さかじいさん 阿部一郎~開墾した山を花見山公園に~」。作者は、森川成美さん。佼成出版社の「感動ノンフィクションシリーズ」の一冊として出版されたものだ。

 

 

「福島の花さかじいさん 阿部一郎~開墾した山を花見山公園に~」

話は、森川さんが福島に「花見山公園」という花の名所があり、そこが「桃源郷」と呼ばれていることに興味を持って、公園を訪ねるところから始まる。

菜の花、レンギョウが見事な花見山公園頂上付近。森川さんが歩いた道をたどってみる。

時は4月上旬。満開のサクラをはじめ様々な花が鮮やかに咲くつづら折りの道を登り切り、山の頂上に立った森川さんは、景色を眺め、鳥のさえずりを聞きながら、この場所が「桃源郷」と言われるわけを理解する。――そして、思う。

 こんなにも多くの人を引きつける美しい山をつくりあげたのは、いったいどんな人なのでしょうか。

 花見山公園は入園料をいっさいとりません。そればかりか、トイレも常設され、山歩き用のつえ、かさまでも用意されて、いたれりつくせりです。

 なぜ、ここまでして、人をむかえいれるのでしょうか――。わたしはふしぎに思って、花見山公園の持ち主、阿部一郎さんに、お話をうかがいにいくことにしました。

「福島の花さかじいさん 阿部一郎~開墾した山を花見山公園に~」はじめに より

 

――阿部一郎さん。

それが、この花見山公園の誕生と開放に関わった二代目園主の名前だ。

「福島の花さかじいさん 阿部一郎~開墾した山を花見山公園に~」には、その経緯が詳しく書かれている。 

 

阿部一郎さんは、大正8年(1919年)、渡利地区の養蚕農家に生まれた。

小学5年生のとき、祖父の伊助さんが事業に失敗し、阿部家は山も畑も手放さなければならない状況に陥る。一郎さんの父・伊勢治郎さんは、山に自生する花や木を売って、生計を立て直そうとした。もちろん、一郎さんも手伝った。

 

奥の建物は花木を出荷するための阿部家の作業場。手前は休憩所として開放されている。

 

家族が力を合わせ、親戚の助けも借りながら、一郎さんたちは家と家の正面にある山を何とか買い戻した。しかし、山の土はやせていて野菜や果物は育たない。伊勢治郎さんは雑木を切り出し、薪にして売る一方で、土を耕し、花の種を蒔き、苗を植え始めた。

時は流れ、福島県立信夫農学校(現 福島県立福島明成高等学校)を卒業した一郎さんは、花木の栽培に乗り出した伊勢治郎さんとともに山の開墾を本格的に始める。

機械に頼らず、人力だけで木を伐り、根を掘り起してその穴を埋め、苗木が植えられるように土を均す作業は容易ではない。一日に三坪できれば上々という状態で、約5haもある山を、一郎さんは少しずつ開墾していった。

 

山肌にはかなりの急斜面もある。鍬一本で開墾したという当時の苦労がしのばれる。

 

昭和14年(1939年)と昭和20年(1945年)、2度の兵役で苦しい経験をした一郎さんは、家に戻ると、山の開墾と花木の栽培に打ち込んだ。

1950年代半ば、山に花が咲き誇り、四季折々に美しい姿を見せてくれるようになると、「山を見せてほしい」という人が現れるようになった。

 

園内にある花木の中には、植えてから50年以上経つものもあるという。

 

山を開放することを思いついたのは、伊勢治郎さんだった。一郎さんは、祖父・伊助さんの「食べて子孫を残すだけなら、すずめにもできる。でも人は、それ以上のことをしなきゃならない」という言葉を思い起こし、賛成する。

地域の人たちの理解と協力を得て、昭和34年(1959年)4月、阿部家の山は「花見山公園」として、一般の人たちに開放されることになった。「公園」と付けたのは、「気軽に入ってもらえるように」と考えてのことだった。

その後、「福島には桃源郷がある」と称賛した写真家の秋山庄太郎さんとの出会いもあって、花見山公園は全国にその名を知られるようになっていった。

現在の渡利地区では、阿部家を中心に現在10数軒の農家が花木を栽培している。

 

しかし、物語はここで終わりではない。公園を訪れる人は年を追うごとに増えてゆき、花の季節になると交通渋滞が起こるなど、阿部家だけでは対応しきれなくなっていった。

対策に乗り出したのは、福島市だった。平成16年(2004年)に「花見山環境整備協議会」(現 花見山観光振興協議会)を設立。それに先駆け、園内を案内するボランティアガイド「ふくしま花案内人」を養成する講座も開設した。

平成23年(2011年)の東日本大震災を乗り越え、その翌年の休園(花木の根を休ませるため)を経て、平成25年(2013年)、花見山公園は再び開放された。

その同じ年の9月、阿部一郎さんは93年の生涯を閉じた。

花見山公園は現在、一郎さんの長男の一夫さんと孫の晃治さんによって受け継がれている。

森川さんは、この本のあとがきを、こんな言葉で締めくくっている。

 

「花は人を招く」

 花見山と共に人生を歩んできた一郎さんは、心からそう思っていたのでしょう。わたしにも、「花と人の心を通わせることが自分の幸せである」とおっしゃっていましたから。

 花の力はすばらしい。

 でも、それ以上に人を招いていたのは、無心に花を育てて働く一郎さんや阿部家のみなさんのすがただったのかもしれません。

 

三度目の花見山公園へ

実は、花見山公園へは、これまでに二度足を運んだことがある。初めて訪ねたのは、10数年前。秋山庄太郎さんの写真と「福島に桃源郷あり」という言葉に惹かれてのことだった。2度目は、9年前。いずれも花、花、花の花景色に、ただただ圧倒されたことを憶えている。 

振り返り、思うことは、「何も見えていなかった」ということだ。

色とりどりの花は見えていたが、その一木一草を人の手が植え、手入れしていることには考えが及ばなかった。さらに、山に入る際、民家の庭先を通ることを不思議にも思わなかった。わが身に置き換えれば、それがどれほど大変か、容易に想像できただろうに。

今年4月、9年ぶりに花見山公園を訪ねてみた。

「福島の花さかじいさん 阿部一郎~開墾した山を花見山公園に~」を読み、「ふくしま花案内人」に案内していただいた花見山公園は、以前とはまったく違って見えた。

 

 

震災前は32万人もの人が訪れたという花見山公園。現在は20万人以上まで回復してきているという。

 

「ふくしま花案内人」は、一定期間養成講座を受講し、福島市から認定された観光ボランティアガイドだ。花見山公園を中心に福島市内の見どころを紹介している。今回お世話になった河野恵夫さんは、その第一期生だ。

4月6日、午前8時30分。今まさに花ざかりを迎えた花見山公園の麓にある観光案内所を訪ねると、

「おはようございます!」

よく通る声と、晴れやかな笑顔で河野さんは迎えてくれた。

案内人になって10年以上になるという河野さんに、さっそく「もともと花に詳しかったのですか?」と尋ねたら、「ぜんぜん」と即答された。「聞かれれば答えますが、こちらから花の説明をしたりはしません」と。

面喰う私に、河野さんは笑いながら「こういうことなんです」と一枚の紙を見せてくれた。 

【花案内人心得】

~阿部さんの花見山への想い・おもてなしの心

地域のみなさんの優しさを紹介しましょう~

  1.私たちは、花見山公園のこころ・想いを継ぎます。

  2.私たちは、お客様の気持ちに寄り添い、隠し味の案内を行います。

  3.私たちは、誇りをもって、福島の良さを発信します。

  4.私たちは、仲間と学び合い、自己啓発に努めます。

「ここに『隠し味の案内』とあるように、私たちが表に出てはいけないと思っています。阿部一郎さんや、ご家族の想いを伝えることが私たち『ふくしま花案内人』の役割なんです」

河野さんはさらに、こんな話も聞かせてくれた。

「よく聞かれるのは、『どうして無料なの?』ということです。阿部一郎さんも、三代目園主の阿部一夫さんも、地域の方々を気遣って表には決して出ていらっしゃらない。どこからの援助も受けず、自分たちだけが利益を得るようなことも一切なさらない。私たち『ふくしま花案内人』は、そんな阿部一郎さんやそのご家族の想いに加えて、阿部家の想いを理解し、協力している地域の方々のすばらしさもお伝えしたいと思っています」

 

「地域の役に立ちたい」という想いから、「ふくしま花案内人」に応募したという河野恵夫さん

 

今、花見山公園にはほとんどゴミがない。河野さんたち案内人がこまめに拾っているということもあるが、明らかに減ってきているのだそうだ。それは、ここを訪れる人たちが、この公園の成り立ちを知っているから。花見山公園への理解が広がりつつあることを、河野さんは実感しているという。

 

阿部一郎さんの想いを受け継ぐ

「それでは、まいりましょうか」

河野さんにうながされ、阿部さんの家の庭を抜け、森川さんが見たのと同じ、サクラ、ハナモモ、ハクモクレン、レンギョウ、ボケ、ユキヤナギが咲くつづら折りの山道を歩いた。

平日の午前中だというのに、山を巡るコースにはすでに多くの人がいた。

「こんにちは」「どちらからいらっしゃいました?」「ゆっくりご覧くださいね」

河野さんは出会う人ごとに声をかける。

 

毎年来ているお客様も少なくない。県内外はもちろん、最近は海外からのお客様も増えている。
「山茱萸(さんしゅゆ)は、秋になると真っ赤な実をつけるんですよ」と、河野さんは持参のルーペをお客様に差し出した。

 

花の名前を尋ねられれば答え、こちらが疲れかけていると見れば、足を停めて話を聞かせてくれる。

「この山は、阿部一郎さんが鍬一本で開墾した山です」

「花木の栽培は、同じ種類を集めて育てるのが効率的ですが、ここは少しずつ土地を買い戻しながら苗を植えたため、現在のような景色になりました」

「花見山の魅力は、花をいろんな角度からみられることなんですよ」

 

河野さんは小さな山野草にも目を配る。足を停めながら登るので長い上り坂もあまり苦にならない。

 

「サクラに注目が集まりがちですが、ここでは四季を通じてたくさんの種類の花や木が楽しめます。今なお花木を栽培をしている山ですから」

河野さんの言葉からは阿部家への敬意と、花見山公園への愛情が感じられた。

 

山の中腹で、偶然、仕事中の阿部一夫さんを見かけた。出荷用の枝物を積んだ運搬車で、山を下りてくるところに出くわしたのだ。作業服姿の一夫さんに、「こんにちは」と河野さんは声をかけた。一夫さんは、軽い会釈で応えた。

 

作業中の三代目園主・阿部一夫さん。

 

周りに何人かいたが、黙々と運搬車を操る人が、年間20万人以上が訪れるこの公園の園主だと気づく人はなかった。「表には決して出てこない」という言葉通り、一夫さんは淡々と通り過ぎていった。河野さんもそれ以上、声を掛けたりはしなかった。

――崇高なものを見たような気がした。

 

なぜ、花見山公園はこんなにも人を惹きつけるのか? 

森川成美さんは、

花の力はすばらしい。でも、それ以上に人を招いていたのは、無心に花を育てて働く一郎さんや阿部家のみなさんのすがただったのかもしれません。

と、書いた。

今回の訪問で私は、一郎さんや阿部家の皆さんの想いを理解し協力している地域の方々と、その想いを伝え続ける河野さんたち「ふくしま花案内人」の方々の姿もまた、人を招く力になっているのではないかと強く思った。

花の季節には1日20人ほどの「ふくしま花案内人」が花見山公園の案内にあたる。

 

善き志があるところには、善き人が集う。

善き想いが満ち満ちて、訪れた人をやさしくあたたかく包み込む。

 

――花見山公園は美しい。

目に映る景色以上に、この場所は、成り立ちそのものが美しいのだと感じた。

 

たどりついた山頂で、広がる景色を眺めながら河野さんはつぶやいた。

「この景色を見ていられるのが、いちばんの幸せです」

三度目にして、ようやく花見山公園の本質に触れることができた気がした。

 

花見山公園

福島県福島市渡利

交通等の詳しい情報は下記ウェブサイトを参照下さい。

花見山特集 – 一般社団法人福島市観光コンベンション協会公式ページ

 

福島の花さかじいさん 阿部一郎
~開墾した山を花見山公園に~
(感動ノンフィクションシリーズ)
著者:森川 成美
出版社:佼成出版社

 


佐々木ひとみ

児童文学作家、コピーライター。日本児童文学者協会・日本児童文芸家協会会員。茨城県日立市生まれ、宮城県仙台市在住。 2010年「ぼくとあいつのラストラン」(ポプラ社)で「第20回椋鳩十児童文学賞」を受賞。2016年「ぼくとあいつのラストラン」(ポプラ社)が原作の鹿児島市椋鳩十児童文学賞記念映画「ゆずの葉ゆれて」公開。