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KUMIKIとTOHOKU
集会所から家具づくりに。
気仙杉を活かしたものづくりへの挑戦。

 

 

秋田県能代市で注文家具屋を手がけるミナトファニチャー 湊 哲一さん

 

最近、起業をめざす人に良く聞かれることがある。「仲間はどう集めたのか」という質問だ。最初にKUMIKI PROJECT(以下:KUMIKI)に参加してくれたのは、注文家具職人の湊 哲一(みなと のりかず)さんだった。現在は、KUMIKIの役員として製品開発や技術に関する最高責任者を務めてもらっている。

当時のKUMIKIは、陸前高田市で集会所を建設したあと、行政機能の回復にともない集会所づくりの必要性がなくなったことから、地域材である「気仙杉(けせんすぎ)」を素材とした仕事づくりを模索していた。同市をはじめ、隣接する大船渡市や住田町一帯の森林資源である気仙杉を活用した産業ができれば、必ず被災地の復興に役立つはず。そんな想いから始めた取組だが、立ち上げることすら困難を極めたのだった。

杉は柔らかくて、傷がつきやすく、本格的な家具には向かない。相談をした県内の家具製造会社や木工所の多くでは、「木材の特徴も知らないのか」と、まともに取り合ってすらもらえなかった。

もちろん日本国内には杉を圧縮して強度を出すなどの手法で素晴らしい家具を作っている地域もある。だが、家具づくりの知識と技術が豊富にあるわけでもなく、津波の被災エリアが広い陸前高田は、新たな技術への投資も難しかった。家具を作ったこともない。木材の知識も乏しい。それでも日々、加工会社を周りながら、少しずつ木のことを知っていって、自分の興味も膨らんだ。だから諦めたくなかった。会う人、会う人に、杉で家具を作りたいと話していたとき、知り合いの一人が紹介してくれたのが、湊さんだった。

2013年10月。出逢ったときのことは、今でもよく覚えている。表参道にあるコーヒー店で、知り合いに紹介されて出会った職人の湊さん。難しい顔を一切見せず、「ちょうど杉で家具を作ろうと思っていたんですよ」と満面の笑みで言われ、逆に驚いてしまった。新たなスタートである家具づくりが始まった瞬間だった。

 

手間を愛着に変える。

国産材の組立家具キット。

気仙杉と山櫻をパーツ化し、誰でも簡単に組み立てられるように工夫

 

杉は傷つきやすい。そんな弱点を愛着に変えるためにはどんな工夫ができるだろうか。行き着いたのは、「自分で作れて、ばらせる家具キット」だった。試作を作っては、実際に知り合いやイベントで試してもらった。

 

実際にいろいろな人に集まって、作ってもらいながら改良をしていった

 

女性でも簡単に作れること。大きな道具を使わないこと。音を出さないこと。改善点を反映させてたどり着いたのが、六角レンチ一本で作れるキット「KUMIKI LIVING」だ。最初のラインナップとして、スツールとローテーブルとハコの3種類を用意した。

 

気仙杉と山櫻の組み立てスツール「KUMIKI LIVING(クミキリビング)」

 

その後、販売に向けた商品づくりについては、陸前高田市の福祉作業所や、隣接する住田町の製材所に協力をあおいだ。湊さんと訪れて、加工方法のレクチャーも行った。こうして家具キットの販売が始まったのが、2014年の秋頃だった。

ここまでお読みいただいた方は、さぞかし順調な成功物語のように感じるかも知れない。写真も綺麗に撮影できて、販売用のWEBサイトもしっかりつくっていた。
が、現実はそんなに甘くなかった。

 

続行か撤退か。

拡大か縮小か。

家具キットがインターネット販売で売れ出し初めたことで、逆に判断をしなければいけない問題が浮上した。傷つきやすい杉材をつかったキット家具という特性上、本格的な家具より高い価格はつけられない。かといって、資本力のない起業したてのKUMIKIには、量産体制はなく、どうしても原価は高くなってしまう。1台のスツールが売れても、粗利は3,000円程度が限界だったのだ。そうなると、1人が食べていくのに、月に売らなければいけない台数は自ずと見えてくる。その数を安定的に生産し、更に売上を上げていくためには量産体制をつくらなければ、持続可能な経営は不可能だった。

 

インターネット通販でリビングまで届く組立キット

 

問題は量産した家具キットを本当に売り続けられるのかということ。KUMIKIという会社として、規模の経済を追求する道で良かったのだろうか。日々、刻々と減っていく銀行残高を見つめながら、焦りや不安はどんどん高まるばかりだった。

 

決断と反省。

模索のはじまり。

2015年秋。ついに決断をした。気仙杉の組立家具キット「KUMIKI LIVING」の販売中止。販売用ウェブサイトもすべて閉じた。マーケティングやセールスに秀でた人ならば、まだまだやりようがあったのかも知れない。プロダクトのコンセプトも、デザインも自分自身はワクワクできるものだった。それは今でも変わらない。けれど、いったん辞める決断をした。

辞めることは、新しくはじめることよりも本当に厳しい。

この年、KUMIKIは1,000万円に近い赤字に転落した。でも、何より苦しかったことは、これまで一緒に試行錯誤してくれた湊さんをはじめ、制作を担ってくれていた製材所の職人さん、商品が売れたときに喜んでくれていた福祉作業所の皆さんの存在だった。もう少しやり方を変えれば、もう少し営業に力を入れればまだやれるかも知れない。どこかでそんな気持ちもありながら、決めなければいけない状況に差し掛かっていた。期待に応えられなかったこと。本当に申し訳なさでいっぱいだった。

 

スツールの制作を担ってくれていた製材所の職人さん

 

この経験で学んだことはいくつかある。一番は「欲しい」と「買う」の間には、マリアナ海溝よりも深く、ヒマラヤ山脈をも越える壁が存在しているということ。商品開発の際に、ユーザーの声を活かすというのはよく聞かれるやり方だけど、ともすれば心地いい意見を集めるだけになってしまいがち。この道が間違っていないとアクセルを踏むためには、本当に売りぬく自信を持つためには、方法は1つ。それは実際に「売ってみる」しかない。「欲しい」という意見ではなく、「買うかどうか」の行動を逃げずに見ること。その重要性を強く感じた経験だったと思う。答えは、いつも現場にしかないのだから。

現場といえば、組立家具キットの販売を辞める決断には、この年の春から岩手を飛び出して東京の早稲田ではじめた「DIYがっこう」の存在が大きい。集会所と家具キットに続いて、KUMIKIが挑戦した3つめの事業であるこの取組は、木工教室のように学びのカリキュラムがあるわけではなく、欲しい家具や雑貨をとにかく自分で作ることに挑戦できるスクール事業だった。

 

DIYがっこうの様子。人それぞれ作りたいものを作る

 

きっかけは、KUMIKIとして現金売上をつくる必要があったことが大きいのだが、この場から多くの学びが生まれ、のちに、現在につながる事業の芽が生まれることになる。

絶えず事業をピボット(転換)させながら、自分たちがやりたいことと、求められていることの交差点に向かうこと。次回は、この「DIYがっこう」の取組から紹介し、現場でどんな気付きを得て、どう事業を転換させていったのかについて、振り返ってみたいと思う。

 

 

くわばら ゆうき

Kumiki Project 代表者。東日本大震災をきっかけに、奇跡の一本松で知られる岩手県陸前高田市で起業。活動当初は、地元住民とともにセルフビルドでの集会所づくりに取り組む。現在は、活動範囲を全国に拡大し、「DIT」(do it together)をコンセプトに、個人宅・オフィス・お店などをみんなでつくる「空間づくりワークショップ」を実施している。国産材を主な素材に家具・内装キットを開発するほか、20181月には一般財団法人KILTAを設立。だれでも空き時間を活かして働けるようワークショップのインストラクター育成講座と拠点づくりを推進している。

http://kumiki.in