1. HOME
  2. ブログ
  3. travel
  4. people
  5. 蔵書150万冊を誇る古書の聖地「たもかく」で、本の森の賢者はかく語りき

蔵書150万冊を誇る古書の聖地「たもかく」で、
本の森の賢者はかく語りき

福島県の西部、新潟との県境にある只見町に一風変わった本屋があるのをご存知だろうか。

店の名前は「たもかく本の街」。

いわゆる新刊本を扱う店ではなく、古書店だ。

1994年に開業して以来、まもなく25年。

膨大な蔵書は、その数なんと約150万冊。

これは都内の大型書店が抱える在庫数をはるかにしのぐ数という。

控えめに言っても「日本一」。

そんな本屋がなぜ、人口5,000人にも満たない、冬ともなれば3メートルを超す雪が降る日本有数の豪雪地帯で四半世紀も営業しているのか。

代表の吉津耕一さんに話を聞いた。

 

「たもかく本の街」誕生までの前日譚

ログハウス風の建物がいくつも並ぶ。中には本がぎっしり

「最初は木工所としてはじまりました。しかし、当時(おそよ40年前)は木材が海外からどんどん輸入されはじめたころで、木工所がどんどんつぶれていた時代。それでもうちは後からはじめたのでやめたくなかったんですよね。何か副業をしないと、と思って考えたのが、都会の人に田舎暮らしをしてもらうために、古い家を建て替えて別荘として買ってもらう事業でした。でも只見は豪雪地帯だし、都内から車で4時間もかかる。距離でも気候でも厳しい中、どうしたら来てもらえるか。そこで自由に来てもらえる山や森の提供をはじめました」

 

本に話が及ぶ前だが、いったんここで区切って吉津さんのお話を掘り下げていきたい。

 

まず、最初は木工所だったとのことだが、当時の社名が「只見木材加工組合」。略して「たもかく」。現在の店名はその名残というわけだ。そして副業ではじめたという空き家のリノベ&売却。話の中で、吉津さん自身も「いずれこれは、日本中でブームになると思った」と語っていたが、まさに今、日本中の地方自治体が躍起になって空き家の改修に乗り出している。30年も前にその予兆を見越していた吉津さんの先見の明、もといビジネスセンスにこの後、私たちは何度も驚かされることになる。

そして、自由に来てもらえる山や森の提供、という部分にも理由がある。奥会津の山深い道を車で走ったことがある人なら見かけた経験はないだろうか。「入山禁止!」の看板を。大概山へ至る林道のあたりに見られるが、これはいわゆるよそ者が勝手に山に入るのを防ぐため。人家に近い里山は近隣の人々が共同で管理していることがほとんどで、いわば “集落のもの”。自分たちの土地に他人が簡単に入りこむことを良く思わない人も多いというわけだ。

吉津さんは「自然の豊かさを強調してどんどん遊びにきてほしいと言うくせに、決して山にはいれない。そういう田舎独特の閉鎖性にうんざりする」という理由から、土地付きの山林の提供をはじめた。1日なら1,750円。1年間で1万円。株主になれば、株を保有している間はずっと「たもかく」が所有する山に自由に入ることができる。キノコ狩りや山菜狩りもし放題。田舎の“価値”を大胆に売り出す戦略だった。

 

代表の吉津さん。学生時代を都内で過ごすも、生まれも育ちも只見町

吉津さんの話に戻ろう。

「でも首都圏の山はなだらかですが、只見の山は険しい。森の提供も反響は良かったのですが、バブル崩壊で下火になり、なかなかお金を出してもらうのは厳しいなと思ったんです。そこでお金じゃなくて本と交換ならどうかと。もともと本は紙、紙は木から作りますし、うちも一時期紙用のチップを作ったりもしてましたので」

それが、「あなたの本と只見の森を交換します」という事業。

読み終えて捨てられない本、置き場がない本を送ってもらい、代わりに森のオーナーになってもらう。評価は原則定価の10%、1,750円につき森1坪 と交換し、送られてきた本は古書店の棚へ。オーナーになった人が1年に1回でも只見に遊びに来てくれる状況を作り、一方で利用者が増えるほど「本の街」は充実する。土地が広いので在庫はどれだけ増えても困らない。そうして人とものが循環していく。

 

もうお分かりだろう。

 

吉津さんが行ってきたのは地域活性化そのもの。地域をPRし、交流人口を作り、移住につなげる。今や日本中で行われている「町おこし」の先駆けともいえることをやってのけたのが、「たもかく本の街」の正体だったのだ。

 

本が田舎に人を呼ぶ

天井まで本がぎっしり。ダンボールの中はまだ棚に並んでいない本

本と森を交換するという、斬新な企画は大当たりし、多くのメディアで紹介された。週末には首都圏ナンバーの車が駐車場にあふれ、一時期は年間3,000万円もの売り上げを達成。泊りがけで、本を探しに来るお客さんも後を絶たなかった。期せずして、「たもかく本の街」は古書ファンの中では知らない者のない聖地になっていった。

「以前、松浦弥太郎さんがうちを『オリーブ』で紹介してくれた時はすごかったですよ。原宿を歩いているような若い女の子たちがぞろぞろやって来て。それまでうちの記事に反応したのは団塊の世代だったのに、松浦さんが書いた途端10代、20代ですから(笑)」

時にはブックオフやゲオなど、古書を扱うチェーンが新規店の開店在庫を買いにトラックで乗り付けたり、閉店する本屋の在庫を丸ごと引き取ったりしたこともあったというから恐れ入る。

送られてきた本を収納するために建てた倉庫は10棟。実際に本と森を交換した人は36,000人にものぼる。森のオーナーとして300坪を超えた人もちらほら。「山も5万坪くらい買った」と吉津さん。

「本には吸引力があるんですよ。本を買いたい衝動ってすごいんですよね。私も1冊の本を買うために神田まで夜行列車で出かけていました。交通費が5,000円かかる時代に700円の本を買いにいくわけですから経済原理とは合わないですよね。でもそんな風に本を求めた経験はたぶん私だけじゃなくて、誰もが一生のうちに一度は経験することなんじゃないでしょうか。ここに来るお客さんの中にも若いころに買いそびれた本が出てきて大喜びする方がいます。昔は収入とのバランスで買えなかったって思いがあるんじゃないですかね。ダンボールで箱買いして行きますよ(笑)」

本は種類ごとに分けられている。中に入るには受付で許可をもらう

 

「たもかく本の街」は1軒の建物ではなく、敷地内に本の種類別に分かれた棟が点在している。比較的新しい本や売れ筋を集めた本館に加え、「コミたん館」はコミック&単行本、「しんぶん館」は新書&文庫、「うらない館」は文字通り「売らない」本(見学は可能)と、名付けもユニーク。購入希望者はそれぞれ目当ての建物に入り本を探す。2階建の1軒家ほどの広さの建物に、びっしり本が積まれている様は、まずそれだけで圧巻だ。価格は定価の半額、しかし同じ建物の中の本なら10冊2,000円で購入できる。

また、「只本館」という列車のコンテナの中に収められた本は、入場料500円を支払えば冊数にかかわらず持ち帰りOK。「只」=「タダ」というわけだ。

送られてきた本は、吉津さんが汚れや破損がないかチェックする。ある時は有名作家が編集者に宛てた愛の告白の手紙が挟まっていたこともあったと教えてくれた。どの本にも書き手がいて、編集や販売、印刷に関わった人がいて、購入して読んだ人がいる。一冊の本に関わったさまざまな人の“念”のようなものが、今はひっそり棚に収まって次の主を待ちわびている。しんと静まり返った建物の中で膨大な本の山を眺めていると、異次元に迷い込んだような気分にさえなる。

 

ずらりと並ぶコンテナ書庫。この中にも本

書棚を見ながら興味本位で、よく売れる本、売れない本について聞いてみた。

「動きが多いのは司馬遼太郎とか村上春樹ですね。大河ドラマの題材になったり、映画やドラマで実写化されるものもよく売れます。逆に全然売れないのは……」

この先を知りたい方は、お店で直接吉津さんに尋ねてみていただきたい。

 

ネット時代以降の本の“未来”

棟をひとつずつ案内してくれる吉津さん

25年にわたって古書店を営む中で、吉津さんは本を取り巻く環境の変化も間近に見てきた。中でもインターネットの普及は読み手の意識、買い方を大きく変える出来事だったと言う。

「うちはインターネットの黎明期に開店してるんですが、ネットが一番変えたのは百科事典でしょう。昔は家のサイドボードかなんかに読みもしないのに飾ってあったじゃないですか。あとは文学全集とかね。お金があるとなぜかみんな買っていた。洋酒の瓶と一緒ですよ。一番高く売れる本は何かわかりますか?読まない人が飾っておくために買う本です。1セットで3、40万くらいしましたよね。実はあれが本屋の一番の利益源だったんです。それが今やネットで調べたいものがワンクリックで読める。しかもほしい本があったらamazonで買えば翌日には届くでしょう。街の本屋がなくなるのもわかります」

古書店の代表としても、このようなネットがもたらした変化はさぞ苦々しかっただろうと思いきや、なんと「たもかく本の街」は日本で一番初めにインターネット通販を始めた本屋だという。「今は店の売り上げよりamazonの売り上げの方が多い月もあるほど。実際自分も倉庫を探せばあるような本でも、amazonで買ってしまう」のだとか。ネットは指名買いをする場所、本屋はふらっと立ち寄って思いがけない出会いができる場所。「役割が違うんです」と、吉津さんは言う。

では、近年特に若者の本離れ、活字離れなどが話題になるが、これについてはどう考えていらっしゃるのだろう。

おそらく絶版の児童書。こんあお宝がごろごろ眠っている。昔の本は装丁も素晴らしい

「確かに停滞期かもしれませんね。団塊の世代はどんどん目が悪くなって本を読めなくなるし、若い人はみんな電子書籍。でもそれも長くは続かないと思います。紙の本を読みたい、手元に置きたいって人は、まだまだいる。いくら生まれた時から電子書籍がある世代でも変わらないと思います。現にアメリカでは本屋が増えているというデータもあります。電子書籍で読んで良いと思った本を紙で買うそうです」

続けて吉津さんは、「字を読む人は減ってない、それは思い込み」と断言する。

「日本人くらい本が好きで本を読んでる人種はいないでしょう。だって、スマホで毎日読んでいる文章を、読書量に換算したらとんでもない量ですよ! むしろ散歩やスポーツをしたほうがいいくらい(笑)。本を読む人がいないなんて頭の古い人が変化を見ないで、古くなった方を見て嘆いてるだけ。代わりに新しい変化が生まれて、世界中で情報の売り上げは増えている。本の媒体だと思ってスマホを数えたら大変なことです。本に未来はありますよ」

そう口にして吉津さんは静かに笑った。本が売れないのはひとつの側面でしかない。本はまだまだ必要とされる。たとえば今、若い世代の間でカセットテープが人気だったり、レコードを収集したりする人が増えているのと同じように、本が逆に新鮮なメディアとして注目を集めることはこの先ないとは言えない。そのとき「たもかく本の街」は今以上に宝の山になることだろう。

 

 

それにしても、吉津さんの類い稀なビジネスセンスは一体どこで身につけたものなのか。地域活性化の言葉もないころ、いずれくる超過疎化社会を見越し、都会と田舎をつなぐ仕組みを作り上げた。しかもサービスではなく、きちんと経済がまわり、地元にお金が落ちることまで考えて。

「『日経ビジネス』は50年くらい読んでますね。田舎ってなにかやるときには役場に相談して補助金もらってコンサルが来て、ってとこから未だに一歩も抜けれてないでしょ。私が若い時もビジネスといえば儲かる話、つまりセールスの話ばっかりでした。本の中では海外のビジネスや、学問としてのビジネスが紹介されていて、そういうのを自分でもやってみたかったのはあります」

吉津さんのセンスを培ったもの。それもまた本だったのは果たして偶然だろうか。これもまた吉津さん流に言えば、本の「吸引力」だったのではと思わずにはいられない。本は人生を変える。人に新たな世界をもたらしてくれる。めぐりめぐって人を呼ぶ。それらはすべて「たもかく本の街」が体現してきたこと。思い描いたビジョンは大成功だったはず。しかし吉津さんはまだ何か足りないと言う。

「都会の人の田舎暮らしにはインパクトがあったし、本と森の交換も反響があった。でももっと何かあるはず。例えば空き家の活用ですよね。国も自治体も考えていることですが、まだそこに誰も形にしていないチャンスがあるような気がするんです」

お店の前にも後ろにも只見の山が迫る

そう語る吉津さんのデスクにはこれまた多くの本が積まれていた。ふと見れば、手にも数冊。どうやら敷地内を案内してくれている間にも、めぼしい本を見つけたようだ。この中にもしかしたら次なる一手のヒントが隠されているのかもと思うと、なんだかワクワクしてくる。

山、また山の只見の町の片隅で。吉津さんは今日も思索を続けている。さながら本の森に住まう賢者のように。

 

 

たもかく本の店

968-0431 福島県南会津郡只見町大字楢戸字椿61
0241-82-2777
営業時間/9:00-18:00 年中無休(12/31、1/1のみ休業)
ホームページ/http://www.tamokaku.com