山々に囲まれた湯治宿
峩々温泉の湯守を訪ねて

「こっちは朝から吹雪いているので、気を付けてゆっくり来てくださ~い」

遠刈田温泉を過ぎて県道に入り、竹内さんに少し遅れる旨お詫びの電話をすると、軽快な声でそう教えられた。しかし、見渡す限り青空が広がる秋晴れの日で、とても雪が降るとは思えない。“あれは竹内さんの冗談だったのか…”と考えながら走っていると、間もなくスマホが圏外になった。標高が上がり、カーブを曲がるごとに景色が秋から真冬へと変わって行く。あれよと言う間に、車は完全に雪に包まれた。

ものの10分で別世界だ。

 

山間に佇む一軒宿

昔はここまで来るのに、どれほど大変だったのだろう。よほど効能あらたかな湯なのだろうな…。そんなことを思いながら宿に到着すると、暖炉が赤々と燃えるロビーで竹内さんが迎えてくれた。

 

木材を生かした温かみのあるロビー
峩々温泉六代目当主・竹内宏之さん

2007年に大幅リニューアルしたという建物のロビーはログハウス風で、バーカウンターやライブラリの雰囲気が良く、奥にはキッズスペースもあって現代的だ。

「“秘湯っぽくない”と言われることもありますよ(笑)。でもうちの場合、この厳しい環境にあって、経年変化で建物に味が出るということは、まずないんです。それどころか、ローンが残っているのに壊れたとか、風で吹っ飛んだとか(苦笑)、そういうことが繰り返し起こる場所なんですよ。

でも、まずは湯を守ることが第一なので、建物や設備はメンテナンスをしやすく。それから、湯守である自分たちにも快適な空間にしています」

峩々温泉の歴史は江戸時代末期に遡る。山中をマタギが歩いていたところ、自噴する湯で手負いの鹿が傷を癒していたという。その後は「鹿の湯」と呼ばれ、修験者やマタギが山に入る際の野営地となった。 明治に入ると、熊野岳の硫黄を採掘するための政府の宿営地となったが、その際に竹内さんのご先祖である竹内時保氏が設備を整え、「峩々温泉」の宿としての歴史をスタートさせたという。

 

旅館の周囲に広がるゴツゴツとした岩の眺めが名前の由来

 

峩々温泉の歴史と湯治文化

明治時代から昭和初期にかけては、主に上流階級の社交場として栄えた。一般庶民が利用するようになったのは終戦後、バスなどの交通網が整備されるようになってからだという。当時は多くの場合、農業に従事する人々が農閑期を利用して長期滞在することが多かった。いわゆる「寒湯治」だ。

上流階級の人々が集った時代の写真。利用客は青根温泉から馬や籠でこの地まで登ってきた

高度経済成長期を経て人々の労働環境が大きく変わると、そうした利用も全国的に少なくなった。しかし現在、湯治文化は再度見直され、静かなブームになりつつある。現代の湯治スタイルと効能について伺った。

「昔の湯治には“1週間ひと回り”という言葉があり、最低でも1週間、それを3回りすることが理想とされていましたが、今では3週間も続けて休める人ってあまりいないですよね。ですから私は最低で1週間、それも難しければ3~4泊でも連泊することをおすすめしています。温泉は多くの成分を含んでいるので、入浴すると体に負荷を掛けます。入浴で一時的に体力を消費し、自然治癒力を高めることで体調を整えるんですね。また、湯治には入浴だけでなく、転地効果というものがあります。いつもと違う場所で、普段から私たちが習慣で行なっていること…例えば飲食や読書、ウォーキングなどをすると、自律神経やホルモンバランスを整えてくれるんです。つまり湯治で一番大事なことは、お湯が効くというよりも、自己治癒力が高まっている状態にあるということなんです。ちなみに峩々温泉は標高約850メートルの場所ですが、これは体にちょうど良い刺激を与えてくれる高さでもあるんです。あまり高すぎると高山病になってしまうけど、適度な圧力が掛かっている状態です」

 

晴れた日には裏山のトレッキングも楽しめる

 

峩々温泉でも全盛期に比べると、湯治利用は格段に少なくなってはいるものの、毎年決まった時期に訪れる常連客がいるほか、働き盛りの30代~40代の連泊利用も徐々に増えているという。我々を浴場へ案内しながら、竹内さんが湯治の持論を展開してくれた。

「連休があると、あえて混み合った所へ出掛けたり、慌ただしい旅行に行ったりするのが習慣になっているでしょう。僕はそれよりも、体をいたわる時間、セルフメンテナンスの時間にすべきだと思うんですよね。日本のサラリーマンは年末に2週間くらい休みを取って湯治へ行くべき。そして請求は会社へ、ね(笑)」

 

峩々温泉の湯の特徴と昔ながらの入浴法

峩々温泉は胃腸病に効果があるとされ、古くから飲泉としても利用されてきた。現在も館内には飲泉所が1か所あり、自由に飲むことができる。浴場へ向かう前に立ち寄り、味わわせていただいた。かすかに塩味のする、まろやかなお湯だ。

東北には多くの温泉があるが、成分や衛生面の規定が厳しく、飲用できるものは少ない
「成分のことが少し分かると、温泉の楽しみ方が非常に深まります」と竹内さん

 

「温泉の定義は温泉法で定められています。湧き出る湯が摂氏25度以上であるか、または湯の中に、ある成分を規定値以上含んでいるかなどです。峩々温泉の泉質は“ナトリウム・カルシウム-炭酸水素塩・硫酸塩泉”、食品や化粧品の原材料表記と同じで、含有量の多いものから順に並びます。峩々温泉は胃腸に良いとされていますが、ナトリウムとカルシウムがその由来です。整腸作用があり、胃腸薬にも入っている成分なんですよ。それから、温泉分析書の中で、女性にぜひ注目していただきたいのが“メタけい酸”の含有量。これはお肌の新陳代謝を促進してキメを整えてくれる成分で、温泉1キログラム中100ミリグラムほど入っていると、美肌に効果があるとされていますが、峩々温泉は162ミリグラムも入っているので、まさに美肌の湯でもあるんです」

浴場には内湯と露天風呂、そして露天風呂から石段を渡って下りたところに混浴の露天風呂がある。源泉は約54度あるため引き湯し、内湯はぬるめの40~41度、露天は熱めの45度ほどで掛け流しにしている。

渓流の音が聞こえる、眺望の良い露天風呂
かけ湯は昔、湯あたりをした湯治客が始めた入浴方法だそう

そして、これが峩々温泉独自の入浴方法「かけ湯」の浴槽だ。湯が冷めにくいように浴槽は小さく、縁には寝転がれるスペースがある。木枕を置いて仰向けになり、竹筒で汲んだ湯をお腹に掛けて内臓を温めるという。

「内湯と露天に入って、よく温まってから掛け湯をお腹に100杯。そして最後にまた内湯で全身を温めて出ると、湯冷めしにくくなりますよ。湯に浸かる時間は合計10分をおすすめしています。続けて入っていただいてもいいですし、露天と内湯とを出たり入ったりしながらでも構いません」

 

内湯。浴槽には常に新鮮な湯が満ちている

浴場の造りにも竹内さんのフレキシブルな哲学があった。

「浴槽はヒノキですが、内湯の足元にスノコ状に張っているのはスギです。良い材料を使っても、泉質の強さですぐにだめになってしまうので、そうしたらすぐに1本ずつ取り替えていく。5年に1度は総張り替えすることになります。浴槽もだめになったらすぐに取り替えられるよう、複雑な造りにしないというのが僕のやり方。天井の木の部分は漆喰で塗ったんですが、お得意さんに“風情がない”とめちゃくちゃ怒られました(苦笑)。でも、年季よりは室内環境を、そして湯治のメソッドみたいなものを大事にしたいと思ってやっています」

張り替えてもすぐに変色してしまうスギ材。泉質の強さを物語る

 

六代目が推奨する湯治中の部屋での過ごし方」

浴場を後にした我々は、続いて湯治滞在向けのワンルームの客室へ案内していただいた。こぢんまりとした和室には小さなこたつが備えられ、まさに湯治部屋といった風情がある。

「連泊滞在中にお出掛けにならないお客様へは、“おこもり弁当”という簡単なお昼ご飯もご用意しています。そしてここからは僕の妄想ですが、夜は夕食の後、自販機で500ミリリットルの缶チューハイを買うんです。やっぱりこたつにはロング缶で。そして、飲みきれないままいつの間にか寝てしまう…というのが、僕の考える湯治の正しい過ごし方です(笑)」

何もせずに過ごす贅沢を楽しみたい
竹内さんこだわりのラインナップが光る自販機(左)。峩々温泉に訪れたらぜひチェックを

家業の考えと七代目への思い

ひと通り館内を案内していただいた後、ロビーに戻り外へ目を向けると、チェックアウトしたお客さんを見送るご家族の姿があった。

長男の智哉君が勢いよく駆け出す後ろ姿を、妹の綾香ちゃんがよちよちと追いかけていき、揃って手を振っている。窓越しにその姿を見て竹内さんが話を始めた。

「“跡取りって大変ですね”と言われたりするんですが、自分の意思などと関係なく、やらなきゃいけないのが家業なんですよね。継がなきゃいけないから大変だとか、職業選択の自由がないとかも感じたことはないです。それは小さな頃から手伝いながら、家業とはそういうものだと肌身で感じてきたからだと思います。すごく古い温泉旅館とはまた違うのかもしれないですが…。でも、数年前に蔵王山の噴火警報が出ましたよね。あの時、もしもそういうことが起きたら、二度と旅館はやらないと考えていました。この温泉は僕たちの意思で始めたものではなくて、湯が湧いて人が集まったということが始まりなので、終わるのも僕たちの意思ではない。僕はそのくらいに割り切った感覚が大事かなと思っています」

 

お客さんの車を竹内さんの子どもたちも見送る

 

初対面の取材陣にも、物怖じせずに話し掛ける明朗さは竹内さんにそっくりだ。これから数十年後、七代目はどんな思いで峩々温泉の湯を守り、受け継いでいくのだろうか。

 

峩々温泉
宮城県柴田郡川崎町大字前川字峩々1番地
TEL 0224-87-2021(午前9:00~午後9:00まで)
FAX 0224-87-2335(24時間)
http://gagaonsen.com

 

[みちのカメラマン] 渋谷 和江

山形と東京に拠点を置きフリーランスコマーシャルカメラマンとして活動。東北は四季がはっきりしていて撮りたい素敵なシーンが沢山あります。そんな東北の魅力を写真を通してお伝えできたら幸いです。