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古本屋のよそ見

よそ見

いくら嗜められても、うっかりまたよそ見をくり返したものだった。もしかしたら大人たちももて余し気味だったかもしれない。我ながらのんきな子どもだったと思う。もとよ り本人に他意はなく、まして反抗心なんてこれっぽっちも持ちあわせていなかった。かえって大人の言い分をもっともだと感心さえしていたくらいだ。だから注意されるといつもきまりが悪くなり、しおらしく従うよう心がけていた。ただ、説教が長びくとつい、すぐそのそばから眼鏡の鼈甲縁なんかに気をとられ出してしまったのだけれど。

授業中に居眠りしかけて、夢うつつでふと窓辺の鳩と目があったことがある。例によっ てせわしく首を前後させていた。つられてカウントをとろうとしたら、二拍子ではどうにも外してしまう。胸騒ぎを抑えながら目を凝らすと、首は三角の軌跡を描いていた。まっすぐ突き出しても、復路には同じ軌道を辿らず、横へ膨みながら戻るのだ。後になって調べてみたら必ずそうするわけでもないらしい。ともあれその時は、あまつさえちょうど 二羽いたので下手なワルツさながらだった。みるみる目が覚めたのはいうまでもない。

よそ見はときに見知った風景を脱臼し、世界のもう一つ別の顔をあらわに見せてくれる。しようとしてするのでなくうっかりやってしまうものだからこそ、習慣に流されずあらた めて世界と出会いなおさせてくれる。

そんな見込みをみすみす捨ておくなんて、たぶん幼心にも忍びなく思えたに違いない。 かりにぼんやりしていても大人たちには悟られぬよう、普段から腐心する癖がおのずと身 についた。そのたまものか学年が上がるごとにあまり叱られなくなった。そうはいっても彼らからすれば、そんな子どもの小芝居なんてとっくにお見透しだったかもしれないけれど。じつは聞きわけがないあまり、呆れて匙を投げていたに過ぎないのかもしれない。

よそ見一筋なんて恥ずかしくて滅多にうちあけられない。かりにも履歴書の特技欄に臆面なくよそ見なんて記入する輩がいたら、ぼくなら即刻却下する。仕事には百害あって一利なしだ。何しろ身をもって日々痛感している。職業柄、本の整理をしているとうっかり 読み耽ることが少なくない。あろうことかさらに脱線して、もとの所有者による書き込みに異論まで練っていたりする。作業は一向に捗らない。

仕事はおろか、まして社会にだって何ら役に立たないのは百も承知なのにやめられない。 根っから染みついているのだろう。いたずらに年季だけが入ってしまった。

観念してせっかくだからと、よそ見したものを試しに撮ってみたことがある。たしか大学生になって運よく安手の一眼レフが転がりこんできたのだ。当初はそれなりに意欲があったはずなのに、手が伸びなくなるのは存外早かった。ファインダーを覗いてもシャッターを切る気力がなかなか湧かない。かえって対象と向き合うにもカメラを挟むのが次第に煩わしくなってくる。自分でも意外だった。

見つめているあいだは夢中でいられるにも拘らず、いざフレームに収めようと構える段 になると億劫になってしまう。撮らなきゃという心がまえが巣食いだし、ぼんやりしていられなくなるのが堪えられない。よそ見をするようにノンシャランと写したいのに。以来 カメラを購うことはなく、いまや手もとに残っているのはせいぜい撮影機能つきのガラケー一台きり。それにしたってもっぱら時計代わりに持ち歩くに過ぎず、久しく何も写していない。

写すのは苦手でも見るだけなら、ひがな一日でも飽かずに写真集なんかをめくっていられる。おかげで仕事はさっぱりだけれど。あるいはギャラリーにもよく足を運ぶ。なかでも大森恵子さんという方の写真展はいつにも増してじっくり拝見した。

 

 

 

 

写真:全て大森恵子 制作年:2017年

 

自宅とおぼしい室内や、そこからの眺望なのか生い茂る庭の植木や近所の木立が写されていた。手の届く身辺ばかりなのに、どこか抽象的な感触が後をひく。不思議になってもう一巡してみた。

どの写真でもテーブルや床の照りかえしが端々にさし、ときには窓ガラスの反映がぬけぬけと写りこんでいる。画面の大半を家具や樹々が占めるかたわら、それらをかき分けるかのように反射する光が目を惹きつける。かといって光が主役の座に躍り出ることは決してない。あくまで、ものたちのあわいに紛れて画面に散在している。

ものにしろ光にしろどうも独立した被写体としては捉えられていない。それよりも光を糸口にして、ふいに目が奪われてしまう出来事そのものが試されているかのようだ。画面に引き込まれながら、鳩をよそ見したいつかの記憶が去来していた。

ひときわ印象的なのは緑のまぶしい植物たちだ。複数枚が組まれて展示の一角を占めていた。新緑かなと流し見ていると、あたかも紗をかけたようにふわっと発散して見える。 網戸越しに撮られた効果らしい。なおかつそれが写真一面に夥しくきらめいて目を捉えて 離さない。おまけに光合成を行う葉にとって、緑は吸収しづらく反射せざるをえない波長の光なのだ。つまり、緑を色として眺めていたつもりがいつしか反射し発散する光として 目を釘づけにしている。

かつてぼく自身が夢みた、よそ見をするような写真とはこういうものを指すのかもしれない。その場で作家に確かめたくなったものの、あいにく会えず仕舞いだった。

ところが幾日かして、思いがけず先方から弊店を訪ねて下さった。初対面ゆえ慌てはしながらも、これ幸いと色々お話を伺った。大学で写真を学ばれた経緯や、個展を開くのがまだ二回めなのだということ等々。そのあとまた日が経ってからはたと思い当たった。迂闊にもよそ見の件を聞き逃していたのだ。日ごろからぼんやりしてばかりいると肝心なことが抜け落ちてしまう。

 

 

関連書案内

『ハトはなぜ首を振って歩くのか』

著者:藤田祐樹 出版社:岩波書店 出版年:2015年

あたまの側面に目がついている鳩は、かたや視野が広く遠目がきく反面、両眼視野がと ても狭く近眼だといいます。そのため足もとの餌をついばむのに、眼を前後させて距離を 測っているらしいのです。挙動不振な奇癖にも見えかねない例のしぐさは、彼らに見えている世界に正確に順応した結果というわけです。いったいどんな世界なのかしら、本書は そう想像するヒントに溢れていてすこぶる愉快です。あわせてジェームズ・ギブソンの『生態学的視覚論』(サイエンス社、1986)も参照すると、理論的射程が深まり想像力がさらに広がると思います。

 

写真:大森恵子
「みえない眼鏡」
2017年11月「仙台写真月間2017」の一環として実施された企画
会場:SARP(仙台市青葉区錦町1-12-7 門脇ビル1F)

高熊洋平
古本とコーヒーの店「書本&cafe magellan(マゼラン)」を、仙台市内で営んでいます。 美術や思想など人文書をはじめ、絵本や暮らし向きの本など幅広いジャンルを扱っています。

http://magellan.shop-pro.jp/

 

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