市民が中心、楽しむことが中心。
街の真ん中にPARK(遊び場)をつくろう。
「せんだいセントラルパーク構想」[プロローグ]
広瀬川の「川床」に集い、楽しむ人たち。
川面を見つめながら若者たちが話していた。
「せんだいセントラルパーク構想」って何だろう?
広瀬川に初めて生まれた「伊達な川床」
「川を身近に感じる」ことが、街の魅力を広げると思う
2017年、夏。
「広瀬川に初の納涼床」。
このニュースに目を留めた仙台市民は多いのではないだろうか。
初の試みとなるイベントは話題となり、3日間で約1000人が訪れた。
きらめく川面。清らかなせせらぎ。はしゃぎながら川あそびをする子どもたちに、カヌーや最近ブームだというハワイ生まれ「SUP(スタンドアップパドルボード)」を楽しむ若者たちの声。
ここが市街地だということを忘れそうなくらい、緑と水と自然に満ちた場所だ。
そして川にせり出すように足場が組まれた「川床」。
テーブルセットが置かれ、優雅にビールやワイン、イタリア料理を楽しむ人々の姿が見える。川面からの涼風に、みんなとても気持ちよさそうだ。
「伊達な川床」と名付けられたこの企画は、伊達政宗公生誕450年記念と仙台七夕まつりの先行イベントとして企画されたという。
伊達という名にふさわしく、広瀬川の瀬音を聞きながら対岸の丘上に建つ仙台城跡や、昭和13年に建造された大橋を眺めることができる。仙台の原風景と言える場所だ。
伊達政宗公は、まちづくりに際して、この広瀬川にかなりの思い入れがあったという。
「仙人橋下、河水千年、民安んじ国泰んず、尭天といづれか」と記した擬宝珠を橋の欄干に掲げた。
理想国家とされてきた尭の時代に肩を並べようという壮大な展望が示されている。
広瀬川が城下に入りこむ最初の場所に、仙台を鎮守する大崎八幡宮が創建されたことも、清流とともに街を守ろうとする強い意志の現れでもある。
しかし、広瀬川の風景は、素晴らしい。
崖が多い景観はダイナミックでもあり、森や滝があることも魅力だ。
納涼床というと京都の鴨川を思い出すが、この広瀬川の川床が定番になれば、杜の都・仙台にもうひとつの夏の風物詩が生まれることはまちがいないだろう。
今回の川床はまだまだ実験的な意味合いが強いというが、参加者からも「京都のように規模が大きくなってほしい」「長い期間やってほしい」という声が集まったという。
この川を街の中心と考えられたら街は変わるのだろうか
広瀬川を中心に「せんだいセントラルパーク構想」が生まれた
納涼床で川面を見つめながら、この川床のイベントは「せんだいセントラルパーク構想」の一貫だと若者たちが話している。
「せんだいセントラルパーク構想」。
この広瀬川を中心に、街が公園になるということか。
ふと、知り合いの若い女性が言っていたことを思い出した。
「私、大橋を渡って広瀬川の向こうに行ったことがないんです。ある意味未知の世界。」
なぜ?と聞くと
「なんか街から外れていくみたいで…」
…なるほど、と思った。
歴史をひもとけば、仙台は広瀬川を軸に基礎づけられた都市だった。
せんだいー「川」の「内」の土地。名前の由来が示すように、まさに広瀬川は「せんだい」の中軸だった。
しかし、近代以降、仙台駅の開設や地下鉄南北線の整備等の都市構造の変革により、人々はむしろ広瀬川に背を向けて暮らすことになった。
街のエリア感。そして街の中心。
これは時代によって変わっていくのかも知れない。
今仙台市街は、まちがいなく「一番町アーケード」が街の中心になっている。
もし、広瀬川を中心にこの街のエリアを見直すことができれば、他の都市に優るとも劣らない「セントラルパーク」の姿が見えてくるかも知れない。
「この広瀬川に人が集まったら、街は変わるんだろう。」
そんな思いに包まれた。
そして仕掛け人のひとり、都市デザインワークスの豊嶋さんに出会った
今回の「伊達な川床」を企画したのは、「都市デザインワークス」という市民提案型のまちづくりに取り組んでいる団体だ。
さまざまに展開しているまちづくりの取り組みのひとつに「せんだいセントラルパーク構想」がある。「伊達な川床」はこの構想のひとつの具体的な実験だという。
仙台の街の真ん中に「セントラルパーク」をつくる。
とても雄大な構想に興味がわいてきた。
…そして、都市デザインワークスの一員である豊嶋純一さんに出会った。
せんだいセントラルパーク構想の話を中心に、仙台のまちづくりについて、これからいろいろ話を聞いてみたいと思う。
→ 豊嶋さんとの対話は、次回につづきます。
都市デザインワークス
http://www.udworks.net